人間同士が何かの目的で会う場合、すぐにその目的の会話から始めるわけでは、ありません。まず、相手の姿を確認したら、言葉や身振りなのでお互いが相手の存在を確認し合う行動をとります。さらに近づいて話し始める際も、特定の動作や言葉で互いに話し始めます。これらの一連の行動が挨拶と言えます。ですから、あいさつは世界の人々の共通の行動とも言えます。ただ、挨拶する場面での文化や社会背景、またそのTPOによって変化します。日本で代表的な挨拶といえばお辞儀です。場面や気持ちの深さによって腰を折る角度が変わります。一方西洋の方ではお辞儀の代わりに握手をします。他には挙手や、抱擁、接吻などをあいさつとして行う地域もあります。
昔から日本人は道で出会う人々には誰にでも、たとえ見知らぬ人でも声をかけてきました。挨拶をきっちりできる人は、感じのいい人と思われ相手も心を開いてきますが、挨拶が出来ない者は恥と思われ、一人前の扱いをされませんでした。現代でも仕事や職場の世界、親族、親戚や近所関係などそういった傾向が見られます。多くの社会で、挨拶は人間関係を円滑にする上で必須の手続きと認識されています。それ故、挨拶をしなければ、それはそのまま他の人との摩擦に発展し兼ねない恐れもあります。ですから、企業の中には社員教育の一環に「あいさつ練習」などのメニューを加えているところもあります。

日本語の「挨拶」は、元々は禅宗の用語であり、修行者が互いの修行の成果を質問し、悟りや知識見識などを、お互いで確認する行為でした。そこから一般の人々へと広まり、人と会った時にとりかわす儀礼的な動作や言葉・応対などを言うようになったと言われています。鎌倉時代では、挨拶を「言葉かけ」と言い、他人と外で出会ったりすれ違ったりした際は言葉を掛けるのが一般的な礼儀でした。当時の書物には、誰であれ目にした人に対しては必ず礼儀としてあいさつをすべきと記されています。つまり日本での挨拶は、目下の者から先にするものでもなく、目下、目上の区別なく先に気づいた方から行うのが基本だったようです。
今日の「おはよう」は「お早くから、ご苦労様です」などの略であると考えられています。それは朝から仕事や作業をしている人をねぎらう言葉でした。「こんにちは」は「今日は、ご機嫌いかがですか」などの略で、お昼に出会った人の心身の健康をある意味確認したものでした。「こんばんは」は「今晩は良い晩ですね」などの略だと言われます。また、「さようなら」は「左様ならば」「それならば」の略のようです。「それならば私はこれにて失礼いたします」のような意味の言葉になるのかもしれません。
現代社会の日々のニュースなどに触れますと、日本では人間関係が以前よりも少し希薄になっているのを感じる方も多いと思いますが、こんな時代だからこそ、みなさんでもう一度、挨拶の重要性について考えるのは良いことだと思います。































